菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩く 下関・小倉 No.183

下関「開国の港、フクの海」

関門橋。関門海峡に昭和48年(1973)に架けられた自動車専用の吊橋。すでに鉄道の海底トンネルはあったが、本州と九州を初めて地上で結んだ橋である。長さ1068メートル。

海の銀座通り

 下関の海岸で関門海峡を前にして立つと、陸からすぐのところを次々に船が往来する。太古の昔から、どれほどの船がここを通ったことか。関門海峡は、まさに日本の海の銀座通りである。 
 下関市は山口県の西部、日本海と瀬戸内海に面して広がる大きな町である。風光明媚で多くの観光スポットに恵まれているが、なかでもおすすめは旧毛利藩の城下町・長府の町並みと古刹の功山寺。功山寺は、幕末には高杉晋作ら志士たちの謀議の場所であった。
 長府の西には平家が滅亡した壇ノ浦古戦場。関門橋をくぐると、壇ノ浦で入水した安徳天皇を祀る赤間神宮。すぐそばにはフク(下関ではフグをこう呼ぶ)料理の老舗であり、日清講和条約(下関条約)が締結された場所としても知られる春帆楼がある。また、関門海峡に浮かぶ巌流島は宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の場。船で5分の対岸はノスタルジックな建築物が建ち並ぶ九州の門司港。中世のドラマと、幕末から開国へと続く日本の鼓動を伝える見どころが連なっている。
 一方、変化に富んだ2つの海は豊かな漁場でもあり、フクやタイ、ハマチをはじめとする多くの魚が下関港に隣接する唐戸市場に集まる。2001年に新築移転されたこの市場は週末と祝日には多数の飲食屋台が出店して、いまや大人気の観光スポットとなっている。

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赤間神宮。二位の尼に抱かれて入水した安徳天皇を祀る神社。竜宮造の水天門が特色だが、建物はすべて戦災にあい、戦後の再建。   長府の町並み。古代から長門国の国府があったところ。江戸時代も毛利氏支藩の城下町で、現在でもその当時の面影が残っている。

江戸の金さん

 その下関に、幕末から今日まで、町の歴史と歩みを共にしてきた菓子の老舗がある。文久2年(1862)創業の江戸金だ。創業者増田多左衛門が江戸の生まれで、幼名が金次郎だったところから、「江戸の金さん」と親しまれ、店名にもなったのである。
 現在の社長は5代目の三野明彦さん(昭和18年生まれ)。
「初代は江戸の生まれですが、各地を旅しながらお菓子の修業をした人で、長崎で南蛮菓子の製法を学んだ後、兄のいた長州藩に立ち寄ったと伝えられています。下関で枡初(枡屋初蔵)という菓子屋に入り、枡屋の姓・増田を継いで店を構えたのが、江戸金の始まりです。店を出した固屋の浜(現西入江町)は、北前船が出入りして、大変な賑わいをみせていた場所だったようです」
 その初代から伝わる代表銘菓が「亀の甲せんべい」。"亀は万年"のおめでたい縁起と、下関の氏神である亀山八幡宮の縁起とにちなんでつけられた名前だそうだ。
「この菓子の特色は、パリッという軽い歯ごたえと口溶けの良さ、程良い甘さ。そして、べ
っこう色の艶と反り具合です。
艶の秘密をよく聞かれるのですが、焼き型に秘密といえば秘密があります。焼き型を焼いてゴマ油を入れ、それを染み込ませるために振る『つや振り』という工程を行っているんです。そのあとしっかり自然乾燥させてから使うのですが、せんべいを焼くときにはもう油は使いません。それでいて、あの独特の光沢が生まれるんです。
 今、せんべいを焼く工程は機械化していますが、型をはずして行う『つや振り』は現在でも手作業。重い鉄型を手で振る、重労働です。これができる人を育てるのも大変です」

江戸金

山口県下関市卸新町7-3 TEL:0120(230)391

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「亀の甲せんべい」だけは
昔のままを守りたい。
だから冒険はしない、
できない。

三野明彦

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亀の甲せんべい   ふく笑い

せんべいの復権

 10年近くも試行錯誤を重ねてやっと完成したという機械が動くところを見せていただいて、三野さんが伝統の菓子を守ろうと努力を続けてきたことが実感として伝わってきた。
「今は膨脹の時代じゃない、ある意味で耐える時期でしょう。ただ、そうしたなかでも、せんべいという菓子を復権させたいという思いは強くあります。ですから、あらゆる機会にアピールしていこうと思っています」
 もちろん新しい商品の開発も積極的に行っている。「うにパイ」は、フクに劣らぬ下関の名物ウニにちなんだ菓子。
「それと、今、大変ご好評をいただいているのが、『ふく笑い』です。フクを正面から見た顔をかたどったカステラ生地の焼き菓子で、漉し餡入りとカスタード入りの2種類があります。
 いずれにしても、江戸金は歴史ある下関の店。この町と人とともにずっと歩んでいきたいと思っています」
 大の歴史ファンでもある三野さんと従業員さんたちのアイデアがコラボした商品が、次々と試されているそうだ。

白山(松任)「伝統に味わいあり」

小倉城跡。慶長7年(1602)に細川忠興が以前からの城を大改修したもので、南蛮造と呼ばれる最上層を大きく張り出させた天守閣に特徴がある。30年後に小笠原氏が城主となり、そのまま明治を迎えた。昭和34年に再建。

街の変貌

近年、小倉は大きな変貌をとげている。
 まずJR小倉駅が立体化して、九州の玄関口としての堂々たる顔となった。駅の北側に見えている工場群の人工美も圧巻の美しさ。ライトアップされた「工場夜景」は、今や観光の目玉となっている。
 一方で、鍛冶町の森鴎外旧居や小倉城跡の一角に建てられた松本清張記念館、紫川に架かる常盤橋など、小倉の歴史と文化にかかわる遺跡や施設も立派に整備された。 
 小倉は、江戸時代は九州探題として全九州を睨んでいた小笠原氏の城下町であり、明治以降は日本有数の軍都として、また北九州工業地帯の心臓部として栄えてきた。その繁栄のなかで培われた文化の鉱脈を、今、小倉自身が掘り起こしつつある。 
 今回、訪ねた小倉銘菓「栗饅頭」で有名な湖月堂も、小倉の市民に楽しさと夢を与えてきたという意味で、この地の文化を担ってきた老舗である。小倉出身の作家・松本清張が、若き日にデザイナーとして湖月堂のショー・ウィンドーの意匠を手がけたことを忘れがたく誇らしい思い出としていた逸話は、何よりそれを物語っていよう。

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北九州市立松本清張記念館。東京都杉並区の自宅を、外観から書斎や書庫に至るまで、清張が亡くなった当時のままに再現している。小倉は清張の郷里。 (写真提供 北九州市立松本清張記念館)   森鴎外旧居。明治32年(1899)、陸軍第12師団の軍医として小倉に赴任した鴎外が最初に約1年半ほど住んだ家。アンデルセンの『即興詩人』の翻訳をここで完成させたといわれる。

創業者の遺産

 湖月堂は明治28年(1895)の創業。現在の社長は、3代目の本村道生さん(昭和8年生まれ)である。
「初代は小野順一郎といって広島の醸造家の長男でしたが、菓子職人を志して小倉で修業を重ね、独立しました。初代を知る人は誰もが、人柄がよく、非常に頭がよかったと口を揃えて言います。2代目の小野精次郎も父親を『口数が少なく、温厚で包容力豊かな人柄で自然と人を信服させるものがあった』と書いています。写真を見ますと、体も大きくて押し出しがいい。魅力ある人だったのだと思います」
 明治33年(1900)、初代は八幡製鉄所(現・新日鉄)や炭鉱開発で活気づく小倉一の繁華街・魚町に湖月堂の看板を掲げた。
「屋号は、当時小倉に置かれた陸軍第12師団の師団長で、初代が趣味としていた囲碁を通じて知り合った井上光が、源氏物語の注釈書『湖月抄』からつけてくれたものです。優れた人物だったようで、当時、同師団に軍医として赴任していた森鴎外も褒めています」
 そして間もなく、代表銘菓「栗饅頭」が誕生した。
「饅頭の中に、正月の祝儀にも使われる縁起の良い勝栗を入れるというアイデアが、日清・日露の戦争の必勝を祈る市民感情に沿いました。この大ヒットで湖月堂の基盤ができました。すると、初代は菓子屋のほかに食品販売の事業にも進出しました。実は私どもは食品卸の会社も持っておりますが、これも初代の遺産なのです」

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常盤橋(木の橋)。江戸時代、南蛮菓子など西欧の文化が伝わった長崎街道の起点。1995年に架け替えられ新名所となった。 (写真提供 北九州市立松本清張記念館)

湖月堂

北九州市小倉北区魚町1−3−11 TEL:093(521)0753

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地域の銘菓は
お客様に守られています。
本当に幸せな仕事だと
思っています。

木村道生

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栗饅頭   一つ栗

お客様に守られて

湖月堂は、血縁者の中から、しかし長子にはこだわらずに後継者を決定してきた。2代目の小野精次郎は三男であったし、3代目の本村さんも精次郎の娘婿だったが、請われて食品卸業を引き受け、やがて菓子店も引き継いだ。
「戦後、日本の流通業はアメリカの近代化、合理化をお手本にして大いに発展しました。しかし、それは厳しい競争の中で仕事をするということです。そして私が引き受けた食品卸のビジネスは、なかでも最も厳しい中間流通の部門にあります。
 一方、菓子屋は、良いものを作るということを第一義に、その地域の風土や文化の中でそれぞれに菓子を生み出し、お客様に買っていただいています。つまり、地域に守られ、日本の文化に守られ、お客様に守られている。そこに喜びもやりがいもあるわけです。私が菓子作りという仕事のありがたさを強く感じるのは、半分、熾烈なビジネスの世界に身を置いているからかもしれません。
 湖月堂では今、『栗饅頭』に続くものとして、パイ生地で小豆餡を包んだ『ぎおん太鼓』と、渋皮栗が丸ごと入った饅頭『一つ栗』が人気です。おいしいものがいろいろある時代に、お客様は"お国自慢"として湖月堂の菓子を選んでくださっている。それにお応えするには、精進を続けていくしかないと思っています」
 いつまでも聞いていたい経営談であった。本村さんのご趣味はテニス。ゴルフでいえば、シングルの腕前である。