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「顔」の話(1)大奥を彩った細面の美女たち

 私の専門は、人類学である。ジャワ原人の化石からエジプトのミイラ、縄文人骨、そして現代人骨まで、人類の進化と日本人の由来を求めて古今東西の人骨を調べてきた。
 なんといっても面白いのは「顔」である。そもそも、「顔」の最大の役割は食べることだ。上下の顎の骨があって、咀嚼筋が付き、歯で食物を噛み砕く。ご飯であれ、お菓子であれ、咀嚼機能が健全でないとおいしく食べられない。
 一般に、硬い食物をしっかり噛んで食べている人たちの顔は頑丈で幅が広く、軟らかい食物を日常的に食べている人たちの顔は華奢で幅が狭い。ちなみに、江戸時代の庶民の人骨を調べると、男も女もかなり頑丈な構造で、幅もそれなりに広い。
 ところが、江戸の浮世絵に描かれた美女たちの顔を見ると、いずれも異様に細長い。なぜなのだろう。

 謎が解けないうちに定年退職を迎えそうになっていたのだが、絶好の機会が到来した。2007年から2年計画で、上野にある東叡山寛永寺の徳川将軍家御裏方霊廟の改葬が行われることになり、私たちに遺骨の研究が依頼されたのである。8代将軍吉宗の生母や、12代将軍家慶の側室で、13代将軍家定の生母である「本寿院」などが活躍した大奥の、禁断の扉が開かれたのである。
 折しも、NHKの大河ドラマでは「篤姫」が進行中で、本寿院を高畑淳子さんが圧倒的な存在感で演じていた。高畑さんは面長で鼻も高く上品な顔立ちだが、果たして本物の本寿院の顔は……?
 本寿院の遺骨は、堅固な石室の中の長い木棺に納められていた。木棺はかなり傷んでいて、蓋が中に落ち込み、遺骨にも大きな損傷を与えていたが、慎重に取り上げ接合してみると本寿院の顔がみごとに復活した。
 頭と顔の輪郭は、上方の幅がやや広く、そこから顎の先に向かって幅が狭くなっている、ゆるやかな逆三角形。眼窩の縁や頬骨はほとんど横に張り出さず、顎の先も尖っていて、かなりの細面であることがわかる。眉間から鼻根、鼻背にかけては極めて滑らかなカーブを描いて伸びており、鼻骨とその両側の骨はすんなりと隆起している。そして、私の解剖学実習教育16年半の経験に基づいて想像力をふくらませ、この骨の上に肉付けすると、まさに細面の浮世絵美人。そして、もう少し鼻を高くして顎をしっかりさせれば、高畑さんの顔になる!
 NHKが高畑さんを本寿院役に起用したのは、大正解だった。

 それにしても、本寿院の顔が浮世絵の美人にそっくりなのはなぜか。その疑問を解くためには、さらに大奥の最高権力者である正室の顔を見る必要がある。
 発掘された正室たちの遺骨の顔は、いずれも本寿院に同じく細面で、さらに本寿院よりも鼻が極めて狭く、高く隆起している。
 正室は、ほぼすべて京都の公家、つまり美食家揃いの貴族の出身である。貴族たちは江戸時代のはるか以前から贅沢な暮らしをして、上等な軟らかい食物を食べていた。そのために、華奢で幅の狭い独特の「貴族顔」になっていたと推測される。さらに、そのような顔が好まれるようになると、貴族の婚姻の際には意識的に選択された可能性もある。
 そんな女性が京都から江戸にお輿入れしてきたら、どうなるか。美食の歴史が浅く、庶民顔に近かった大奥の女性たち、あるいはその後ろ盾であった人々は、正室の極めて顔幅が狭く鼻の高い貴族顔が表す威厳に圧倒されたに違いない。そして、大奥に女性を送り込むにあたっては、正室と同様の超細面の美形を選ぼうとしたことは想像に難くない。実際、側室の顔は江戸時代を通じて確実に狭く、華奢になっていく傾向がある。その具体的な例の一人が、本寿院である。
 京都の公家に始まった細面の「貴族顔」は、江戸城大奥に波及し、やがて大名などの上流階級にも広がっていく。一方、粗食のために頑丈な顎を持った幅広の顔立ちの江戸の女性たちは、伝え聞く上流の顔に憧れをつのらせた。その女心に乗じて、現代でいうファッション誌・芸能情報誌的な役割を担っていた浮世絵は、細面の女性に流行の着物を着せた絵柄を次々に発行していよいよブームをあおり、売り上げを伸ばしたのである。
 ところで、最近の若者は顎が虚弱になって、昔の公家並みに細面が多くなった。しかし、顎が細くなると歯が収まりきらなくなって、歯並びが悪くなるなど健康上の問題も頻発している。だから、私は歯科医と一緒に「離乳食がすんだら、赤ん坊には硬い食物を食べさせろ」と、かねがね警告してきたのだが、親たちが美食にはまっているので、ほとんど効果がない。
 そういう私も、歯ごたえのある煎餅が大好きで頑丈な顎が自慢だったのに、年をとるごとに小豆餡の素朴な饅頭や羊羹に目がなくなってきている。

寛永寺の寺域にある徳川将軍家御裏方霊廟の改葬に伴い、2007年から正室・側室など25基の墓所が発掘調査され、5年以上を費やして歴史、考古 、宗教、人類学など多方面からの研究が行われた。写真は徳川家綱霊廟勅額門。 

馬場悠男(ばば ひさお)

945年、東京生まれ。国立科学博物館名誉研究員。元日本人類学会会長。東京大学生物学科卒。獨協大学医学部解剖学助教授を経て、88年から国立科学博物館主任研究官。96年から人類研究部長、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授を兼任。2011年より現職。専門は人類の進化と日本人の形成過程。国立科学博物館(東京上野)の話題の企画展に数多く携わるかたわら、NHKスペシャル「地球大進化」などの監修や、科学番組でのわかりやすい解説で知られる。著訳書も『人類進化大全』、『ホモ・サピエンスはどこから来たか』、『人間性の進化』など多数。