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活弁エッセイ(1)私は「活動写真弁士」です

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 「活動写真弁士」って、ご存知ですか? まだ映画に音声がついていなかった明治から昭和初期にかけて、スクリーンの横で全役を演じ分けてセリフを言い、解説をしていたのが活動写真弁士でした。海外の無声映画は、上映時はほとんど楽器の生演奏のみだったそうで、活弁は、ほぼ日本独自で発展した芸能分野でした。
 しかし、音声入りのトーキー映画が発展するに伴い、弁士は不要になり、淘汰されていきました。常設館もない、襲名や真打ちなどの昇進制度もない、” 野生化”した芸能。全盛期には全国に8千人いた弁士も、今では十数名。そうです、今でもいるのです。私、山崎バニラも、その中の貴重な一人でございます。
 まずは、私がなぜこんなマニアックな職業についたのかというあたりからお話いたしましょう。
 それは2000年のこと。不景気のせいか、「ヘリウムボイス」と呼ばれる変わった地声のせいか、大学卒業後も就職ができなかった私は、オーディション雑誌で新しくできる無声映画シアターレストランの座付き弁士の募集記事を見つけ、応募しました。弁士に弟子入りや稽古を積んでプロになるというシステムがないことにまず驚きましたが、ともあれ私は声を笑われて合格。弁士がなんだかもよくわからないまま、またたく間にステージにデビューしました。
 しかし、このシアターレストランでの興行は残念ながら1年半で終了。つまり、弁士募集は、私が応募したものが最初で最後だったのです。でも、このシアターレストラン開店の年に、偶然学校を卒業した私。そして、偶然就職ができなかった私。そのめぐり合わせに、「やはり弁士は天職だったんだわ」とポジティブ・シンキング。その後もなんとか活弁を続けて、今年で12年とあいなりました。

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 あまり知られていないと思いますが、弁士は自分で台本を書きます。ですから、弁士によって映画のあらすじまで変わってきます。無声映画全盛の時代、人々が活動写真館への道すがら「映画を観に行こう」ではなく、「弁士誰々を聴きに行こう」と言っていたのも納得です。
 登場人物の誰にしゃべらせるか、黙って映像だけ見せるか、ナレーションで処理するかなど、すべては弁士の裁量。物語に入り込む弁士が大半ですが、私はスクリーンにツッコミを入れたり、登場人物に話しかけたり、ミニ解説を入れながら活弁することが多いです。というのも、時代背景や撮影技法の解説がないと、映画の伝えたいことやおもしろさがわかりにくい時代になったと思うからです。
 また、私は活弁を伝統芸ではなく、今生きているお客様に楽しんでいただくエンターテインメントだと思っているので現代の言葉を使っています。さらに、自分の好きな音楽もつけたくて、デビュー1年目から、大正琴やピアノを弾きながら活弁をしています。1時間以上の長編映画を活弁するときは、ピアノの楽譜を2ヵ月で50枚ほど書きます。手書きで書いたときは「二度とやるか」と思いましたので、楽譜ソフトを導入。その延長でDTM(パソコン音楽)にも詳しくなりました。
 活弁全盛期の大先輩がたは、一度映画を観た程度でステージに立っていたそうですが、21世紀の活弁士は文明の利器を生かし、台詞も音楽も作り込んで緻密なステージングをしています。高性能な自作パソコンを組み、映画や活弁の歴史を紹介する映像なども自分で制作。この映像用に何枚もイラストを描いていたら、工学博士の父に「芸が身を助けているんだか、滅ぼしているんだかわからない」と笑われましたが、苦労のかいあって、学校公演でも好評です。若いお客様を育てることにも一生懸命!

 このように、新しいことに挑戦しやすいのも、私のようなヘリウムボイスでも続けられたのも、台本を自分で書くシステムのおかげだと思いますし、誰にも文句を言われなかったのは、活弁界独特の自由さのおかげでしょう。
 今なお美味しい伝統的な和菓子のように、活弁も堅苦しいものではないということがおわかりいただけましたでしょうか。お近くで公演の際は、ぜひ会場まで足をお運びくださいませ。

山崎バニラ(やまざき ばにら)

活弁士(活動写真弁士)。1978年、宮城県白石市生まれ。東京育ち。宮城県白石市の観光大使。「ヘリウムボイス」と呼ばれる独特の声と、大正琴とピアノを弾きながら語る独自の芸風を確立。大正琴を始めたのは、白石の祖母が通販で買ったのに弾かなかったものをお下がりで譲り受けたのがきっかけ。声優としてもアニメ『ドラえもん』ジャイ子役、劇場版ポケットモンスター『ギラティナと氷空の花束 シェイミ』シェイミ役など出演作多数。著書に『活弁士、山崎バニラ』(エイ出版)。将棋はアマチュア初段。将棋とパソコンの知識を生かし『ドキュメント電王戦 その時、人は何を考えたのか』(徳間書店)寄稿。好物は、柿とミルクティー。