発酵博士のおやつ話(3)

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発酵酒饅頭のこと 小泉武夫



 小麦粉などに水を加えて練り、これを酵母で発酵してから焼くとパンになり、蒸すと発酵饅頭のたぐいになる。
 日本における最初の頃のパンは、江戸後期に、練った小麦粉に酒種(酵母で発酵している日本酒の?あるいは醪)を加えて発酵させ、かまどで焼いたものであった。それより以前は、酒種で発酵させたものを焼かないで蒸したものであったので、我が国ではパンよりは発酵饅頭、すなわち酒種饅頭の方がずっと歴史は古い。
 今は、このたぐいの発酵饅頭はずいぶんと姿を消してしまったが、昔は全都道府県に点在していた。そして、今もって地方へ行くと、発酵饅頭を作っているところがあるのは嬉しいことである。私は「発酵仮面」と渾名される発酵学者であるので、地方に行く時には、どこでどんな発酵食品を味わえるのかが旅の楽しみの一つでもあるのだ。そのため、これまで出合った発酵饅頭、あるいは酒饅頭、甘酒饅頭のたぐいはとても多かった。
 印象深かったのは、熊本県鹿本郡植木町で食べた甘酒饅頭で、米麹に少しの水を加えて50℃に保って一晩置き、固めの甘酒を作り、それを一度天日で干す。この干し上げたものが種となり、かなり保存ができる。この種には酵母がたくさんいて、水とご飯を混ぜ、それに種を加え、これを1日発酵させる。それをふきんのような布で濾し、その汁で小麦粉を練る。30〜40分もすると膨らんでくる。それを再びこね、2回目の膨らみがきたら、梅干しの種ぐらいの大きさにちぎり、中に小豆餡を入れる。すると、またすぐ膨らんでくるので、その時を見て蒸して出来上がりである。
 その甘酒饅頭を一個手に取って、ガブリと口に入れて噛むと、瞬時に鼻孔から甘ったるい酒の微かな匂いや、小麦粉が蒸された時に出る食欲を奮い立たせる甘ったるい匂いが抜けてきて、口の中ではムチムチとした饅頭の中からうま味と餡の甘みとがジュルジュルと湧き出してきたのであった。
 意外かもしれないが、首都圏に近い神奈川県は、酒饅頭を作る地域がとても多い。相模原市上溝地区、足柄上郡山北町中川地区、津久井郡藤野町佐野川地区(今の相模原市)などで、上溝地区と中川地区は米麹を使った甘酒饅頭に餡を中に入れるのに対し、佐野川地区は麦麹で甘酒を作り、饅頭の中に餡だけでなく味噌を入れることもある。
 大分県もよく酒饅頭を作るところで、くじゅう高原の直入郡直入町神堤地区(今の竹田市)のものは大変手の込んだ酒饅頭である。
 まず「酒」を造る。白いご飯を茶碗に3杯と米麹を2杯混ぜ、種(前回、酒饅頭を作った時にとっておいたもの)を1杯、水8合を混ぜて1日間置く。ぶくぶくと湧くので、これを笊で濾す。小麦粉に塩少々加えて、こね鉢に入れ、そこに「酒」を加えてよくこねる。こねるほど、できた饅頭はよい。適当な大きさにちぎり、餡を入れて丸め、山帰来(ユリ科蔓性低木)の葉にのせてねかせ、約1時間(夏)から2時間(冬)すると発酵して膨らんでくる。指で押してすぐに戻るようになったら、蒸籠で蒸して出来上がり。お盆の時には饅頭の中に甘い餡を入れるが、ほかのときは塩餡が多く、また中に餡を入れない酒饅頭も作り、それを食べる時は黒砂糖や蜂蜜をつけて食べる。
 ほかに山梨、長野、青森、大阪、佐賀、長崎あたりも酒饅頭の多い地域であった。
 




    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。