発酵博士のおやつ話(4)

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醤油菓子とおやつ 小泉武夫



 菓子の一般的イメージは甘味を持つことである。そこに甘味とは正反対の塩味の濃い醤油を使うというのであるから、そういう菓子やおやつはなかなか無いだろう、と思っていたら、実は昔から隠し味に重宝していたという話を聞いて、少々驚いた。確かに醤油は塩っぱいだけでなく、強いうま味も持っているから、使い方次第では隠し味になって当然だ。
 では、どんなものの隠し味に使われるのかというと、饅頭、どら焼き、羊羹、かりんとう、甘納豆、飴玉、油揚げ菓子といった日本のものから、カステラやケーキ、パン菓子、リーフパイ、キャラメルといった西欧菓子にも使われることがあるということである。
 しかし、こそこそと隠されて使われるのではなく、正々堂々と胸を張って使われ、むしろ醤油がないと製造は不可能だという菓子もあって、それが草加煎餅に代表される醤油煎餅である。小丸形の手頃な大きさ、カリッとした歯ざわり、茶褐色の焦げ色、香ばしい焼き香などが嬉しく、昔から日本人の茶の間で愛し続けられてきた伝統的菓子である。
 その原型は、日本古来の堅餅(乾餅)という、焼いて食べる保存食で、最初は塩味をつけたものだった。江戸時代初期、すでに江戸近郊の町屋、柴又、千住、竹塚、草加あたりの農家では、米の粉を蒸してから平たく固めて焼き、塩味をつけた丸塩餅を自家用に作って食べていた。なかでも草加は奥州街道の宿駅として開け、宿屋、立場、茶店、商店が軒を連ね、南の千住宿、北の粕壁宿の中間にあって旅人の休憩地となって賑わっていた。
 そうすると、丸塩餅は誰となく旅人の求めによって売られるようになり、さらに保存が効くので参勤交代によって行き来する奥州諸藩の大名の江戸土産にもなって名物化した。すると塩味だけでは淋しすぎるというので、そのうちに堅餅に味噌溜を塗って焼いたものができ、さらに江戸川や利根川沿いで醤油醸造が盛んになると、今度は堅餅に醤油を塗って焼く今の形になったのである。
 醤油は、火で焙られるとアミノカルボニル反応が起こって色が赤褐色になり、また米の焦げ香と醤油の焦げ香が融合して、絶妙の香ばしい匂いを発し、食欲を盛り立てるので大いに売れたのである。  




 醤油煎餅が乾燥したドライ菓子の代表だとすると、醤油を使ってドロドロと湿ったウエットおやつの代表は御手洗団子であろう。竹串に小粒の団子を五つ差して醤油でつけ焼きにしたものである。
 昔から京都の加茂御祖神社(下鴨神社)に参詣した人は、境内を流れる御手洗川に足をひたし、無病息災を祈った後、敷地内の茶店で売っている御手洗団子を食べるのがお決まりであった。「御手洗」とは神仏を拝む前に参拝者が手を洗い、口をすすぐ場所である。
 下鴨神社の御手洗団子は竹串に五つ差してあるが、よく見ると一番先にある団子が一つだけやや大きく、二番目との間が少し空いている。
団子は厄除けが目的で、一つ目の大きいのが頭、下の四つが手足と体を表している。この人形を形どった団子を神前に供えてお祈りをし、それを家に持ち帰ってから醤油をつけて火で焙って食べると厄除けになるというのが本来の姿で、今は初めから醤油をつけて焙ったものが売られている。  



 さて、食いしん坊の我輩、どんな醤油の楽しみをしているのでしょうか。
その一つは、まず食パンに刷毛で醤油をさっと塗り、一度キツネ色まで焼いたらすぐにバターを塗って食べる。その時、焼き海苔を上にのせるとまた格別。
お汁粉をつくる時、塩の代わりに醤油を使うと絶妙。大学芋をつくる時、サツマイモを油で揚げてから、醤油と水飴、水を煮立たせてからめると抜群。焼きリンゴをつくる時、バターと砂糖のほかに醤油を加えてつくると感激。  

    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。