和菓子初め

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和菓子初め 周防正行(映画監督)

  十月に五歳になったばかりの十二月、父に連れられて世田谷のボロ市に行った。僕は玉電に乗ったり、電池で動く自動車の玩具を買ってもらったりとご機嫌だったが、父のお目当ては臼と杵と蒸籠だった。
 その年から、我が家の餅つきは始まり、四十五年間欠かすことなく毎年末続いた。晴れた日には庭で、雨が降れば玄関の三和土にむしろを敷いて臼を置いた。
 餅つきの準備は前日から始まる。用意したもち米を水に浸け、臼、杵、蒸籠をきれいに洗う。当日の朝早く、十分に水を吸ったもち米を蒸すのだが、蒸しが足りないといくらついても良い餅にはならない。蒸しあがったもち米を臼にあけるとすぐにはつかず、まずはよくこねる。腰を低く構えて太ももの辺りに杵の柄をあて、臼の周りをゆっくり移動しながら体全体を使って上下動を繰り返し、もち米をひねり潰す。十分にこねると、ようやく父は杵を振り上げ、母の手返しで、「ペッタン、ペッタン」と皆が知る餅つきの光景になる。やがて「ペッタン、スポッ、ペッタン、スポッ」と杵が餅に吸い込まれ、それを抜く音がしてつきあがる。
 小学校高学年になると、それまでは餅をのしたり丸めたりするのを手伝うだけだった僕と妹も、杵を持つようになった。杵は力を込めて振り下ろすのではなく、杵の重さを利用して振り落とすだけだと教えられた。
 最後の一臼は、つきたての餅を母が炊いた小豆にからめて食べる。お気に入りの付け合せは、漬け過ぎて少し酸っぱくなった白菜と濃いめに淹れたお茶だ。
 僕の思い出の和菓子初めは、この自家製あんころ餅である。

周防正行(Masayuki Suo)

1956年、東京生まれ。立教大学在学中映画監督を志し、自主映画を製作し始める。寡作ながら『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』『それでもボクはやってない』『終の信託』など、いずれも既存の映画にない斬新な視点をもった作品を発表し続けている。なかでも96年公開の『Shall we ダンス?』は、第20回日本アカデミー賞13部門を独占受賞して、社交ダンスの大ブームも巻き起こした。夫人はこの映画の主役を演じた草刈民代さん。次作は無声映画時代の若者たちを描いた群像劇で、今秋クランクインが予定されている。