お菓子の素 よもやま噺

ホーム > お菓子の素 よもやま噺(その六)No.163 さつまいも

さつまいも

「い〜しや〜きいも〜」。
木枯らしに乗って遠くから聞こえてくる石焼き芋の売り声。
楽しく、なつかしく、甘く、あたたかい、冬の音。

ある時は日本人の命を救い、ある時は楽しいスナックとして
日本人の友であり続けています。

イメージ

 サツマイモはコロンブスによって中米からヨーロッパに伝えられたといわれています。トウモロコシ、トマト、ジャガイモなどと並ぶ、新大陸で生まれて世界に歓迎された大作物の一つです。
 日本へは意外に早く、琉球(沖縄県)経由で薩摩(鹿児島県)に伝えられました。薩摩藩の武士が琉球での宴会でサツマイモを食べておいしかったので持って帰ったという説、薩摩の漁師が持ち帰って植え、広めたという説、琉球王から種子島に贈られた説など、諸説にぎやかです。
 沖縄では「唐芋(からいも)」「とういも」と呼び、九州では「琉球芋」、本州では「薩摩芋」と呼んで、この芋が伝来した道筋を物語っています。
 サツマイモは朝顔の仲間で、ヒルガオに似た小さな愛らしい花を咲かせます。水を多く必要とせず、栽培が比較的容易で、しかも栄養的に優れているので、穀物の不作時のための食物「救荒作物」として採り入れられました。幕府に進言してサツマイモの普及に心血を注ぎ、飢饉を救って「甘藷先生」と呼ばれた学者・青木昆陽、薩摩からサツマイモを取り寄せて領内の食糧欠乏を救い、「いも殿さん」と呼ばれて親しまれた備中(岡山県西部)の代官・井戸平左衛門が有名です。
 太平洋戦争が始まって1年半ほどたった頃には、米が不足し始め、「サツマイモは主食!」というキャッチフレーズのもと大増産運動が始まりました。巨大になるけれどもあまりおいしくない品種が作られ、戦後も数年間は日本人の食生活に不可欠のものとなりました。
 こうして、もともと主食あるいは 代用食 として、のっぴきならない必要性から採り入れられて広まったサツマイモでしたが、やがて日本で料理や加工品、菓子など多彩な用途が開けました。石焼き芋や壷焼き芋、蒸し芋のほか、羊羹や餡、煎餅、飴などに用いられ、また焼酎や酢などの原料ともなって、食が豊かになった今日でも親しまれているのはご存知のとおりです。
イメージ  サツマイモを使った芋餅、団子類などもおいしいものです。また、サツマイモを裏漉しにかけて作るスイートポテトは、洋風菓子の定番の一つとなっています。干し芋も古くから作られ、保存用だけでなく、なつかしいお菓子ともなっています。
 サツマイモは、ある時は日本人の命を救い、ある時は楽しいスナックとなって日本人の友であり続けています。

大塚 滋 Otsuka Shigeru

食文化研究者。新潟県生まれ。大阪大学理学部化学科卒業、理学博士。大阪府立大学教員、ウスター実験生物学研究所(米・マサチューセッツ州)研究員、武庫川女子大学教授、同大学大学院教授等を経て退職。著書に『味の文化史』(朝日新聞社)、『食の文化史』(中央公論新社)、『パンと麺と日本人』(集英社)、『世界の食文化』(共編/農山漁村文化協会)ほか多数。