菓子街道を歩く

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大阪「味に伝える船場の心」

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風景は消えても

イメージ淀屋橋と土佐堀川の風景。江戸時代には、天下の財産の7割は大坂にあり、そのうちの7割は船の上にある、といわれたほど、淀川の舟運は盛んだった。

 過去にタイムスリップすることができるならば、江戸時代の大坂の船場界隈は、見てみたい風景の一つである。鴻池(こうのいけ)、平野屋、天王寺屋といった名だたる両替商が広壮な店を並べ、株の北浜あり、薬の道修町(どしょうまち)、繊維の丼池(どぶいけ)といった問屋街の集まる船場の町並みは、さぞみごとなものであっただろう。
 今、立派なビル街になっているその船場を、学校を見に行こうとして歩いているのも、不思議な話であった。めざすは、天保14年(1843)に、緒方洪庵(おがたこうあん)が北浜に開いた適塾(てきじゅく)。戦災を免れて塾舎が残り、重要文化財に指定されている。
 全国から集まった塾生、のべ3千人が、蘭学と医学を学んだところだ。塾生の一人だった福沢諭吉は、ほかに器がないので顔を洗った洗面器をそのまま食器にして飯を食っていたというが、それはこのあたりかな、と思って塾生大部屋なるものを見る。
 適塾より100年以上も早い享保9年(1724)に、船場では町人の手になる町人のための学校も生まれていた。儒学者の中井甃庵(なかいしゅうあん)が、鴻池をはじめとする5人の大商人の協力を得て、今橋に開設した懐徳堂である。残念ながら、今は記念碑を残すのみ。
 ともあれ、こうして船場には、この街の富が後押しして誕生させた学校の片鱗が伝わっている。井原西鶴なども、早く船場が生み出した町人文化人といってもよいかと思うが、たしかに船場は富を蓄積しただけでなく、時代を呼吸し、文化を残したのであった。さほど特色のないビル街になった今も、そぞろに歩いて、船場はやはり船場だと感じさせるものは、その文化ではないかと思うのである。

お菓子の心を継ぐ

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大正7年(1918)に建設された大阪市中央公会堂。国指定重要文化財

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適塾。全国から優秀な塾生が集まり、橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉などが巣立った。

 もとより、学校や文化人だけが文化ではない。今回訪ねた今橋に本店をおく菓子の老舗・鶴屋八幡は、実に船場の文化を伝える商家であった。 
 大坂高麗橋に、元禄時代に創業した虎屋伊織という菓子屋があった。大坂で初めて饅頭を売り出し、最上等の進物としてやりとりされている。虎屋伊織では「饅頭切手」なるものを発行したが、これも大坂での商品切手の嚆矢であった。大坂内外に絶大な信用を築きあげた店である。
 その虎屋伊織が幕末を迎え、当主が病弱でしかも実子がなかったことや世情不安などから行き詰まった時、独立したのが、永年奉公をしていた今中伊八である。
 伊八は、虎屋伊織が閉店しては困る大坂のお茶人たちと、9代目当主からの「わが家の製法を後世に伝えよ」という要請を受け、また主家に原料をおさめていた八幡屋にも後押ししてもらった。虎屋伊織の製法・原料一切の様式を踏襲し、高麗橋通り丼池に鶴屋八幡を開いたのは、文久3年(1863)のことである。屋号の鶴屋八幡は、八幡屋の厚意に報いる意味を込め、「つるややはた」としたのだが、いつの間にか「つるやはちまん」と呼びならわされて、今日に至っている。
 鶴屋八幡は、主家と八幡屋の恩義を忘れず、その精神を継ぐという家訓を徹底していて、系統の絶えた主家の菩提寺にある墓石を今も守り、毎年創業記念日には、その菩提を弔うため法要をしているという。虎屋時代を含めて三百有余年の歴史をもっているというのが、この店の誇りだ。

『あまカラ』の発行

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冊子『あまカラ』。小島政二郎、吉井勇、吉屋信子、北大路魯山人などそうそうたる執筆人が寄稿、表紙デザインもすばらしい。200号まで発刊された。

 鶴屋八幡といえば、粒餡入りの最中「百楽」、漉し餡入り最中「有磯」、鶏卵素麺やたまごせんべいなど、知られている銘菓は多い。それぞれ入念に製造された特色あるお菓子である。ただ、この店の本領はお茶席に出す生菓子にあり、その専門店として名声を築いてきた。
 鶴屋八幡には、江戸時代より職人とお茶人とのやりとりから生まれた菓子のアイディア、製法などを書き留めた膨大な量の「菓子帖」がある。第二次大戦後、 3代目社長今中豊三が店を復興しようとした際、店内にあった茶室で週に1回「釜日」をもうけ、初代の「菓子帖」から選んだ茶菓子を出した。これが、戦後間もない人心の荒廃していた時期、まともな甘味を求める人々に大好評だった。
 昭和26年にPR誌『あまカラ』(のち『あまカラ春秋』)を発行したのも、3代目である。このPR誌は、多彩な一流執筆者をくり出して、鶴屋八幡のみならず、大阪という町に人々の目を向けさせた。筆者なども、この雑誌で「大阪に文化あり」の感を深くした一人である。
 現在、鶴屋八幡は6代目、今中智英さんが社長である。

洋館のある大阪

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大阪倶楽部。大正13(1924)年に竣工した南欧風の様式を取り入れた洋館。内装も格調高い。

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大阪府立中之島図書館。明治37年(1904)、住友家の寄付によって建設された。建物は重要文化財。蔵書約80万冊を誇る現役の図書館である。。

 鶴屋八幡を出た時、右手に、レンガ造りの洋館が目についた。正面まで歩いてみると、プレートに「大阪倶楽部」とあって、現在も使われているようである。聞けば、この建物は大正13年(1924)に初めから社交倶楽部用に建てられたもので、大阪近代3大名建築に数えられるものだという。ちなみに3大名建築の他の2つ、綿業会館と大阪ガスビルも、船場の一角にある。
 それでなんとなく洋館づき、中之島まで足を伸ばしてみた。栴檀木橋を渡ろうとすると、目の前に赤レンガの中央公会堂、左手に中之島図書館の青いドームが見えてくる。土佐堀川が橋の裏側に接するばかりに満々と水をたたえて流れていた。
 そこでふと、鶴屋八幡でうかがった、昔は虎屋伊織でも、朝早く栴檀木橋(せんだんのきばし)のたもとで清流を汲み、お菓子を作っていたという話を思い出した。大阪が、本当に水の都であった時代の話である。

鶴屋八幡

大阪市中央区今橋4-4 TEL 06(6203)7281

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百楽
厳選した国産大納言小豆を、伝統の技で丹念にたき上げた粒餡入りの最中。あっさりした味わいが特色。