菓子街道を歩く

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家康生誕の地で二四〇年備前屋

徳川家康は、1542年に岡崎城内で生まれた。少年期は織田・今川氏の人質となり他国で過ごしたが、19歳の時に今川氏が敗れると、ここを拠点に天下統一の基盤を固めていった。天守の前に、家康の「遺訓碑」が建つ。


家康公の生まれ故郷

 岡崎の旅は、名鉄東岡崎駅から始まった。昭和レトロな風情の駅舎と、駅からつながるデッキに建つ徳川家康の騎馬像、さらに真新しい複合施設「オト リバーサイドテラス」が岡崎という町の現在、過去、未来を一気に見せてくれる。
 岡崎は、徳川家康の生誕の地だ。悠々と流れる乙川沿いの遊歩道を西に歩けば、まもなく家康が生を受けた岡崎城が見えてくる。三層五重の天守閣は1959年の復元で、5階の展望台からは岡崎市内が一望。一帯は岡崎公園として整備され、春には多くの花見客で賑わう桜の名所だ。
 城郭の北には、旧東海道が東西に走っている。岡崎は徳川の譜代大名が治める城下町として発展すると同時に、東海道五十三次のなかでも屈指の規模を誇る宿場町として繁栄した。そこで、街道の道筋を「二十七曲り」も屈折させて城下を通過させ、城の防御を固めると同時に、旅人を立ち止まらせる工夫をして経済効果を生み出した。
 240年前、その岡崎宿の真ん中、伝馬町の本陣近くに暖簾を揚げた菓子屋「備前屋」が、時を越えて今も繁盛を続けている。9代目当主、中野邦夫さんを訪ねた。

看板商品は「あわ雪」

──岡崎は40万近い人口を抱えながら、とても落ち着いた雰囲気の町ですね。
中野「山も川もすぐ近くにありますし、神社仏閣も人口比で奈良や京都に次ぐ数があります。一方で、大都市・名古屋にもほど良い距離ですから、とても暮らしやすい町ですよ」
──その町の真ん中に、江戸時代に創業されたとか。
「天明2年(1782)に、初代の備前屋藤右衛門が間口5間(約9m)の店を構えたのが始まりです。当時の場所は、今の本店から少し西に行った、通りの向かい側でした。本陣の御用もたまわる格式の高い店だったようです。
 江戸期にどんな菓子を作っていたかは、戦災で資料を焼失したためよくわかっていませんが、明治の初めに生まれた銘菓が今も続いています」
──代表銘菓の「あわ雪」ですね。
「江戸時代、岡崎宿に『淡雪豆腐』という名物があったのですが、これを出していた茶屋が明治維新後、街道を行き来する人が減って店を閉じました。それを惜しんだうちの3代目が、岡崎名物を菓子の形で残せないかと創作したのが『あわ雪』です。メレンゲを寒天で固めた菓子で、繊細な口溶けとやさしい甘さが特長です」
──まさにロングセラー商品。
「はい。間違いなく、備前屋の看板商品です」



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備前屋の看板商品「あわ雪」。 「備前屋」当主、中野邦夫さん。
  1959年生まれ。

大人気「手風琴のしらべ」

 「ただ、一番の人気商品はと言うと『手風琴のしらべ』です。114層のパイ生地で漉し餡を包んだ焼菓子で、店頭に並ぶ30種類ほどの菓子の売上の4割を占めています。
 父の代に発売したのですが、40年以上にわたり、細やかな改良を加え続けています。バターを欧州産の発酵バターに変えるなどの大きな変更も、10年に1度くらいはしてきたでしょうか」
──だからこそ、時代を超えて愛されてきたと。
「はい。伝統の菓子の改良も新製品の開発も、私は企画から味づくり、デザインや菓子銘などを決める各段階で社内の意見を聞いて回るようにしています。アルバイト学生から超ベテラン社員まで、どの年齢層の意見を重視するかで悩みますが、ヒットする製品は意外と意見がばらつかないものです。
 老舗の看板を掲げている以上、多くの人に愛されるロングラン製品を出していきたいと思っています。『あわ雪』もまもなく、まったく新しいアレンジ商品をお披露目する予定です」

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菓子作りの経験を力に

──中野さんも菓子作りをされるのですか?
「私は高校を卒業したあと、東京の日本菓子専門学校で2年間学び、さらに助手として学校に残って研鑽を積んでから備前屋に入りました。その後、菓子製造技能士1級も取得していますので、一応、菓子が作れます(笑)。ですから、試作にも立ち会って、職人と意見を交わしています。
 菓子屋は最終消費者に近い仕事ですから、時には厳しいご意見もいただきますが、おいしかったよと言っていただけるのが何よりの喜びです。深夜、誰もいなくなった会社で菓子の説明文を書いたり、新製品のデザインを検討したり……。お客様の笑顔を想像しながら仕事をしている時間が至福のひとときです」


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2020年11月にオープンした直営の岡崎南店。(写真・齋部 功)
 
 
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新登場の「八丁すいーとぽてと」。   一番人気「手風琴のしらべ」。

町に必要な菓子屋

──コロナ禍が続いていますが、影響はいかがですか。
「お菓子は人と人との潤滑油になるものですが、人との接触が止められてしまったのですから、非常に厳しい状態が続いています。
 そんな中ですが、2020年秋に直営の路面店、岡崎南店を出しました。場所は市内の大規模な再開発地区の商業施設の一画です。
 建築は国産材を生かした家屋や家具の製造で知られる飛騨のオークヴィレッジに依頼しました。天井材はサワラ。柱は杉とヒノキ。看板も、入口に掲げたものは栗、店内ものはトチです。日本らしい清々しい佇まいで、いずれ本店の内装もこんな風にできたらと思っています」
──未来の備前屋も楽しみです。
「やはり製菓現場の経験を積んだ弟が専務として支えてくれていますし、息子も頑張っています。
 創業から現在まで、経営危機は何度もあったはずですが、今に続いているのは備前屋がこの町に必要とされているからなのでしょう。
 岡崎人の気質は質実剛健。素朴で誠実、飾り気はないが内面は充実している。そんな人々に喜んでもらえる菓子を、これからも切磋琢磨しながら作り続けたいと思っています」

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〈備前屋の想い〉

「この町に必要とされる菓子屋でありたい」

       中野邦夫


備前屋

愛知県岡崎市伝馬通2−17
TEL :0564-22-0234



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ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。