菓子街道を歩く

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歴史の銘菓を次の時代へ

道後温泉では「いきるよろこび」をテーマに、多彩な作品が展示されている。蜷川実花さんの『道後温泉別館 飛鳥乃湯泉中庭インスタレーション』も圧巻の美しさ。 ©mika ninagawa,Courtesy of Tomio Koyama Gallery/dogo2021


名湯湧く城下町

 波穏やかな瀬戸内海に面する四国最大の都市、愛媛県松山市。市街地は、標高132メートルの城山に築かれた松山城を中心に広がっている。
 城山の南麓を歩けば、大正ロマンの香り漂う洋館・萬翠荘(国の重文)や司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』に描かれた3人の主人公を紹介する「坂の上の雲ミュージアム」などの見どころが続く。
 さらに路面電車に乗れば日本最古の湯の一つ、道後温泉へも15分ほどで到着。木造三層楼の壮麗な道後温泉本館は2024年まで一部営業しながら保存修理工事中だが、「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉」ができて賑わっている。源泉かけ流しの名湯に浸かれば、松山生まれの俳人・正岡子規に負けぬ一句も浮かぶかも。
 湯上りには、土産を探して道後温泉商店街を歩こう。目につくのは「タルト」の文字。スポンジ生地で餡を巻いた松山の郷土菓子だ。その昔、松山藩主・松平定行公が、長崎でポルトガル人から教わった、ジャムを巻いたカステラ菓子を工夫したと伝わる。
 なかでも抜群の知名度を誇るのが、「一六タルト」。この銘菓を作る一六本舗に、社長の玉置剛さんを訪ねた。

郷土菓子から銘菓へ

——一六本舗は来年、創業140年を迎えるそうですね。
玉置 「はい。初代が明治16年(1883)に、松山一の繁華街・大街道に菓子店を開いたのが始まりです。私で5代目になります」
——一六タルトは、いつから作られているのですか。
「タルト自体は、団子や饅頭、しょうゆ餅などと並んで初代の頃から作っていたようです。ただ、その菓子が郷土菓子から独自のものになったのは、戦争で廃業された、タルトで知られた菓子店の職長さんが2代目を頼って来られたのがきっかけです。この方と菓子作りを担っていた2代目の次男が味に磨きをかけ、看板商品にしていったのです。
 さらに、3代目を継いだ祖父・一郎が、当時珍しかったラジオ広告を出すなどして愛媛銘菓に押し上げ、4代目の父・泰が俳優の伊丹十三氏を起用したテレビCMを展開して、いよいよ知名度を上げました」

一六タルトの写真

一六本舗を代表する商品「一六タルト」。食べやすい大きさにスライスされている。桜や栗などの季節ものも人気。

玉置剛さんの写真

「一六本舗」社長、玉置剛さん。1981年生まれ。早稲田大学商学部卒。座右の銘は「考動(こうどう)」。

おいしさの工夫

——いまや一六タルトは全国区の菓子ですね。
「本当にありがたいことだと思っています。一六本舗は饅頭もクリスマスケーキも作るおやつ菓子屋ですが、現在も主力は一六タルトです。季節物なども含めますと年間で約100万本を作っています」
——それほどの人気を集める菓子、味の秘密は何ですか?
「柚子餡は、皮をむいた小豆と白ざら糖をじっくり炊き上げ、仕上げに細かく刻んだ県内産の柚子を加えて作っています。また、スポンジ生地は、高温でさっと焼き上げ、軽く叩いて生地を落ち着かせます。このスポンジ生地に柚子餡をのせ、一つひとつ手で巻いて形を整えます」
——手巻きによって、断面が美しい「の」の字になる。
「はい、熟練の職人の仕事なのです。巻き上げたタルトは、ひと晩寝かせ、生地と餡をなじませてから出荷します」

家業を継ぐ

——ところで、店を継ぐことは幼い頃から考えておられたのですか?
「長男でしたので、子どもの頃から家業を継ぐことは意識していましたが、決断したのは、大学卒業が決まって、父から進路を聞かれた時です。どうしたいかと問われ、『菓子をやりたい』と答えて人生が走り出しました。
 そして北海道の『六花亭』で3年半学ばせていただいて松山に戻り、一六本舗に入社しました。ちょうど、新工場建設の話が持ち上がっていた時です。
 実は、松山市は建築基準が厳しく、工場は建て替えさえ難しいのです。そのため多くのメーカーが別の市に工場を移転したのですが、タルトは松山で生まれた菓子ですから、松山で作りたい。父と経営のことを話すことはほとんどなかったのですが、これは二人同じ思いで、懸命に市内に土地を確保しました。工場の設計では、六花亭での様々な経験が生きました。
 社長就任は入社から11年目を迎えた2019年です。父が70歳になるタイミングでの交代でした」


イメージ
道後本館前店の2階にある「一六茶寮」。銘菓とお茶のセットなどが味わえる。
一六タルトの天ぷらも大人気!
 
 
坂の上の雲包装 坂の上の雲中身

「坂の上の雲」

しょうゆ餅

「しょうゆ餅」


コロナ禍に学ぶ

——その社長就任から半年後、コロナ禍が始まりました。
「街から人の姿が消えました。ゴールデンウィークに見込んでいた数千万円の売上はゼロ。途方に暮れましたが、すぐにやれることをやろうと腹をくくりました。
 例えば、帰省ができない方々に向けて「愛媛の仕送りセット」を作りました。一六本舗の菓子も含めた愛媛のソウルフードをぎゅっと詰め込んだ企画商品です。また、地元農家とコラボしておいしい農作物を直送で届けてもらい、新たなスイーツを創りました。
 さらに朝、注文をいただけばその日のうちに無料でご家庭に菓子をお届けするサービスも始めました。
 こうして必死で考えた新事業は、予想外に利益を出しました。その上、新たなつながりを創り、お客様のありがたさを改めて実感する機会にもなりました。
 店は、地元の方々に支えられています。それに応えられる企業になりたい。苦難の中でこそ得られた学びだったと思います」

心を込めた仕事で次代へ

——どんな未来を描いていますか。
「人の心を癒したり豊かにすることができる菓子を仕事にできているありがたさを、今しみじみと感じています。
 お客様に愛される店を目指し、おいしい菓子を心を込めて作りながら、従業員と共に前を向いて進んでいく。
 そして、この店を次につなげていくのが、私の使命だと思っています」(了)

一六本舗道後本館前店の写真

道後本館前店

一六本舗

愛媛県松山市道後湯之町20−17
TEL :089-921-2116
https://www.itm-gr.co.jp/ichiroku



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ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。