お菓子の素 よもやま噺

ホーム > お菓子の素 よもやま噺(その七)No.164 寒天

寒天

夏の生菓子が涼しげにきらめくのも、煉羊羹がきりりと立つのも、
「寒天」が使われているからこそ!
目立たないけれど、実は菓子素材界の重鎮です。

清浄無垢、これにまさるものなし

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 寒天。寒そうな名ですが、実際、冬の季語(「冬の空」の意)でもあります。食物の寒天も、テングサを煮て氷点下の空の下で凍らせて作られるもので、凍り豆腐(高野豆腐)と並んで、日本のすぐれた伝統的冷凍乾燥食品の一つです。
 奈良時代にテングサは「凝菜(こるもは)」あるいは「心太(こころふと)」と呼ばれ、煮て冷やし固めた今日の「ところてん」が夏の清涼食品として好まれていたことがわかっています。
 また、平安の都には早くも「心太店」がありました。古歌に「我ながら及ばぬ恋と知りながら思い寄りける心太さよ」という歌が残っています。「心太い」を「図太い」意味にかけているわけです。
 「こころふと」は、その後「こころてい」「ところてん」となまっていき、てんつきでうどんくらいの太さに突き出したものを黒蜜や酢醤油で食べる「ところてん」はいまも親しまれています。

 さて、江戸時代の初め(1647年、1658年など諸説あり)の冬、薩摩藩の島津のお殿様が京都の伏見にお泊まりになった折、残ったテングサの料理を戸外に置いておいたところ、凍結して透明になり、日中に乾燥しました。宿の主人がこれを研究して、無色で海草の匂いもない乾燥製品に仕上げたのが「寒天」の始まり。後に宇治の黄檗山万福寺の隠元和尚が「寒夜に作るところてん」の意味で「寒天」と名づけたと伝えられ、隠元さんは、「(僧侶の食べ物として)清浄無垢、これにまさるものなし」と感激したということです。
 寒天は菓子の材料としてよく用いられ、煉羊羹や水羊羹、淡雪羹(卵白を使ったゼリー)、杏仁豆腐、蜜豆、ジャムなどにも使われます。
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糸寒天と棒寒天。天然の寒天作りは長野県の諏訪地域や岐阜県恵那市、兵庫県猪名川町などで行われている。扉ページの写真は猪名川町での糸寒天作りの風景(2009年2月撮影)
 蜜豆は寒天を煮て固めた透明のもの(これも「寒天」と呼びます)をさいの目に切って、茹でた赤えんどう、果物、求肥などを盛って糖蜜をかけた、見た目も美しく涼しそうな一品。もとは江戸時代に、新粉細工で船の形を作って、赤えんどうと紅白の新粉餅を入れ、蜜をかけ「蜜豆」と呼んで子ども相手に売っていたのが始まりということです。ずっと後の明治30年代に東京・浅草で洋銀の器に盛って、寒天やアンズ、切り餅などを加えて、今に近いしゃれたものとして売り出して大いに歓迎されました。寒天が主役なのに、蜜”豆”と呼ぶ理由も、歴史を知れば納得です。
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工業寒天の利用が増えている蜜豆にはさらにミカンや桃、梨などの果物をたっぷり加えた「フルーツ蜜豆」、餡をのせた「餡蜜」などのバリエーションも生まれました。「フルーツ蜜豆」の缶詰は、軽便な涼味スナックですが、高温の殺菌が必要な豆と、高温にするととける寒天が共存するので殺菌が難しく、別々に殺菌してから缶に入れてもう一度殺菌する複式殺菌法を行います。また、「あんみつ」の缶詰を作るために、缶の中を仕切って餡を入れておくという、それまでにはなかった二重の缶も発明され、これは当時の缶詰技術を結集させたものでした。今はプラスティック袋入りも出回っていますが、殺菌の苦労は変わっていません。
 なお寒天がノーカロリー食品であることから、種々のダイエット食品に工夫されて喜ばれていることは、ご存知のとおりです。

大塚 滋 Otsuka Shigeru

食文化研究者。新潟県生まれ。大阪大学理学部化学科卒業、理学博士。大阪府立大学教員、ウスター実験生物学研究所(米・マサチューセッツ州)研究員、武庫川女子大学教授、同大学大学院教授等を経て退職。著書に『味の文化史』(朝日新聞社)、『食の文化史』(中央公論新社)、『パンと麺と日本人』(集英社)、『世界の食文化』(共編/農山漁村文化協会)ほか多数。