資料に見る和菓子

ホーム > 資料に見る和菓子 第四回 No.199

菓子袋

 今回は、江戸〜明治期にかけて作られた、美しい絵入りの菓子袋をご紹介したいと思います。まずは上図をご覧ください。
 菓子を囲んで談笑する三人の老人が描かれています。一番左は、釣竿、玉手箱、竜宮城などからお分かりの通り、浦島太郎です。この菓子袋が作られた明治の頃は、玉手箱を開けたあと鶴になり、最後は乙姫と再会する話として知られ、おめでたいイメージで親しまれていました。
 中央の盃を手にした人物は、平安時代の武将・三浦大介義明。八十九歳まで生き、その十七回忌に源頼朝が「(義明の)身は果てても今日まで生きている」と語ったとされ、「鶴は千年、亀は万年、三浦の大介百六つ(八十九+十七)」という祝い詞もあります。
 右側で「寿」の字を掲げているのは、中国前漢の文人・東方朔。西王母という仙女から、不老長寿をもたらすとされる桃を盗んで食べたという伝説のある人物です。いずれも長寿の象徴で、定番の組み合わせだったのでしょう、錦絵ではしばしば三人セットで扱われています。

 上の菓子袋は、江戸時代に流行った疱瘡(天然痘)の見舞い用に使われたもの。病気や災いを祓う色とされる、赤一色で刷られています。いかめしい顔つきで立っているのは、平安時代、弓の名手として知られた武将・源為朝です。疱瘡の神を追い払う力があると信じられていました。背後を固める達磨たちにも、「病床からの起き上がり」の意が込められています。横を向いていたり、為朝の腕と刀の間から顔を覗かせていたりと、どこかユーモラスでもあります。
 当時は現在のような印刷技術はなかったため、これらの菓子袋は、木版や印判で刷られていました。長方形の袋の下側に寄せて刷られているのは、菓子を入れて口の部分を折り返した時に、絵が隠れないよう配慮したものでしょう。折り返した部分に水引を通したり、紐で持ち手をつけたりすることもあったようです。



 面白いのは、空になった菓子袋が掃除の際の被り物などに再利用されたらしいこと。黄表紙『紙屑身上噺』(一七八一)にその様子がうかがえます。これは、様々な紙が自身の身の上を語るという体裁で書かれたもので、菓子袋も登場します。本来は見舞い状や礼状に使われる格式ある紙であるのに、袋に仕立てられ、煎餅などを詰められたことを嘆き、「からのふくろになりてよいとおもへば、すゝはきに引きだし、はいりもせぬさいづちあたまへ、むりにくちのさけるをもかまわずおしこみ、すゝだらけになったしまいが、此とをりにまるめられました」とのこと。つまり最後は、煤払い時の被り物に使われ捨てられたというのです。現在残っている袋を見ても、厚手の上質な紙で作られたものが多いので、丈夫さが重宝されたものと思われます。そのほか、薬などの保管袋として使われることもありましたが、こちらは綺麗な絵柄が捨てがたい気持ちにさせたのかもしれません。

 さて、デザインに話を戻しましょう。名所を描いたもの、古典文学や歌舞伎に題材を取ったもののほか、鶴亀や七福神、宝船といった縁起物も好んで取り入れられています。
 現在の菓子パッケージにも劣らず華やかな菓子袋の数々。最終的には捨てられるはずだったものと思うと、贅沢に感じられるほどです。絵柄に惹かれて菓子を購入してしまう人もいたのでは。今でいうパッケージ買いが、昔も案外多かったかもしれませんね。

(研究主事 河上可央理)

*参考文献:浅野秀剛「菓子袋・菓子箱と商標」(『和菓子』十九号、虎屋、二〇一二年)

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