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ホーム > お・い・し・い・エッセイ 「顔」の話(3)はじめに、口ありき No.180

「顔」の話(2)縄文顔、弥生顔、インカ顔、グルメ顔

 誰でも顔には関心がある。その顔の中で、最も目立つのは眼である。しかも、昨今では目立つほどよいとされる風潮があり、女性のメークのポイントは目力だそうだ。
 それに比べて、口は、よほど派手な口紅を塗らない限り、眼ほどは目立たない。話す時にも、それほど大きく動かすわけではないし、食べる時に口を大きく開けるのは下品とされる。
 しかし、そもそも動物は、生きるために口から進化していったのである。口がなければ、「顔」自体が存在しえなかった。それを「はじめに、口ありき」と形容したのは人類学者の大先輩の香原志勢先生だ。
 太古の昔、海をあてどなく漂っていた私たちの遠い祖先は、どうやったら餌を能率よく採れるかと考えていた。

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 名案がひらめいた。口のある方を前にして泳げば、自然に小さな餌が入ってくる。そして、飲み込んだ海水を脇に開けた孔から出し、そこに網を仕掛ければ、餌が濾されて残る。すなわち、口から進化を始めたのである。そんな原始的システムを活用して、巨大に成長してきたのがジンベイザメだ。
 さらに、私たちの祖先は、鰓を支えていた骨から上アゴと下アゴの骨を作り出し、鮫肌の粒々(エナメル質と象牙質がある)を移植して歯とした。こうした噛みつく武器を生み出して進化してきたのが、魚類から私たち哺乳類に至る脊椎動物なのだ。
 では、口以外の顔の部品はどのようにして生まれ、進化してきたのだろうか。
 まず、餌がどこにあるかがわかると好都合なので、口の回りに嗅細胞を発達させた。これが、鼻である。
 実際には、嗅嚢という袋の中に嗅細胞が集まっている。それぞれの嗅嚢には前後2ヵ所の孔(鼻孔)があり、泳いでいると、前の孔から後ろの孔に水が通り抜け、刻々と変わる臭いを感じることができる。そして、左右どちらの臭いが濃いかによって餌の在り処がわかるのだ。
 今度、魚売り場に行ったら、魚の鼻の孔を探してみてほしい。左右に前後2個ずつあるのがわかる。この前の孔は、私たち人類にも鼻の孔として存在する。では、後ろの孔はどこに行ったのかというと……目頭に移動して、涙を流す鼻涙管の入り口「涙点」になった。鼻涙管は普段から人知れず働いて、汚れた涙を排出してくれている。

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 さて、口と鼻ができたが、もっと餌を採るには身体の前端近くに光を感じる組織が欲しい。そうすれば、餌の在り処を知ることができるし、敵を見たら逃げることもできる。さらに、レンズが発達して網膜に映像をはっきりと結ぶことができれば、刻々と変わる外界の様子を早く、的確に把握できる。こうして、ご先祖様たちが発達させてきたのが眼だ。
 実は、眼の構造はあまりにも精緻なので、かのチャールス・ダーウィンも生物進化の理論を考えていた時に、果たして自然選択だけで眼のような複雑な器官が形成されるだろうかと深く悩んだという。しかし現実に眼は、トンボ、イカ、サカナ、ヒト、それぞれに、独自の高度な進化を遂げた。
 さて、私たちが哺乳類だということは、単に母乳で育つというだけではなく、口を閉じて(口腔を密閉して)食物を吟味しながら細かく咀嚼し、消化吸収の良い状態にするという、繊細かつ活発な生き方をするということである。
 陸上の植物は、種類や育つ時期によって栄養分が違ったり毒を含んだりすることもあるから、的確な吟味が必要だ。そのために、味覚が分化して著しく発達した。

 苦みは植物の毒の成分を意味する。甘みはカロリー。酸っぱさは腐敗と発酵。塩辛さはミネラル。これらのバランスがとれているものが、おいしく安全な食物ということになる。餌を味わって、おいしければ(有益なら)飲み込み、まずければ(有害)吐き出す。かくして、口の中、特に舌にはたくさんの味蕾が作られていった。
 さらに人間の進化は、もっと感動的だ。のどぼとけ(喉頭軟骨)は、普通の動物では気道を確保するために鼻腔に近い口の奥にあるが、人間では頸の中程まで下がった位置にある。そのため、食べ物が肺の方に入ってしまう誤嚥を起こす原因にもなっているのだが、利点もある。つまり、これにより人間はしゃべることが可能になったのだ。声帯で作られた音が、咽頭と口腔、特に舌の作用で調整されて声になる。人間は、呼吸する機能を少し犠牲にしても、しゃべる機能を発達させることを選んだのである。
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 改めて言うと、「顔」は、身体の前端に口が開き、その近くに各種の感覚器官(眼、鼻、耳)が集まり、それを統御する中枢神経系(脳)が発達して出来上がってきたものだ。
 しかし、「顔」の機能は、それだけではない。少しでも認知能力のある動物にとって、「顔」は、さまざまな情報を発信する場所だ。「顔」の皮膚の上に眼や口や鼻があることで、表情が演出される。そして、それを毎日見て認識することで、見る側の中でも徐々に顔が育っていく。「顔」は見られ、また見て、情報や感情を伝え合い、共に生きていく道具となったのである。
 そしてさらに、言葉によるコミュニケーション。言葉は、ただ論理を伝えるだけでなく、グルーミングの役割も大きい。話すことで、人は互いに理解し合い、つながることができるのだ。
「はじめに、口ありき」。そして、最後もやはり、口だった。

馬場悠男(ばば ひさお)

945年、東京生まれ。国立科学博物館名誉研究員。元日本人類学会会長。東京大学生物学科卒。獨協大学医学部解剖学助教授を経て、88年から国立科学博物館主任研究官。96年から人類研究部長、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授を兼任。2011年より現職。専門は人類の進化と日本人の形成過程。国立科学博物館(東京上野)の話題の企画展に数多く携わるかたわら、NHKスペシャル「地球大進化」などの監修や、科学番組でのわかりやすい解説で知られる。著訳書も『人類進化大全』、『ホモ・サピエンスはどこから来たか』、『人間性の進化』など多数。