お菓子の素 よもやま噺

ホーム > お菓子の素 よもやま噺(その一)No.158 小豆

小豆

和菓子の材料のなかでも、 「小豆」は最も重要な材料といえるでしょう。
粒の大きなものは「大納言」という 尊称まで与えられています。
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 食の材料が伝わる様子を眺めていると、一つのパターンがあることに気づきます。たとえば明治の初め、肉食が西洋から伝わってきた時、人々は西洋でのようにビーフステーキやローストビーフとしてではなく、使い慣れた醤油や味噌で味つけして「すき焼き」「牛鍋」「味噌漬け」などを発明して賞味し始めました。私たちは新しい材料を手にした時、自分の調味料、料理法と組み合わせてはじめて、真に楽しみ始めるようです。
 パンも同じ時代にやってきましたが、やはりなかなか受け入れられず、苦心の末、日本伝統の小豆の餡と組み合わせることによって、はじめて人気を得ました。アンパンがそれで、木村屋が銀座に進出して売り出したところ、行列ができる人気になりました。
 洋菓子の代表的フレーバーはバニラとされていますが、和菓子を代表するものこそ小豆餡の風味であるといえるでしょう。
 小豆は東アジアの原産で、中国から朝鮮半島を経て渡来したと考えられています。すでに弥生時代の遺跡である登呂遺跡から小豆が出土しています。
 『古事記』のいざなぎ、いざなみのカップル神による「国生み」の神話では、四国、九州、本州などに続いて「小豆島」を生んだとあります。また、食物の始まりの神話では、ある女神の体から稲、粟、麦、大豆とともに小豆が生まれたとあります。
 『万葉集』にある歌の「あづきなく(自分をおさえられずに)恋しい」というところで「小豆鳴」と当て字をしているので、小豆は奈良時代にはすでに「小豆」と書いて「あづき」と読み、親しまれていたと考えられます。
イメージ 一月十五日など神をまつる日に小豆粥を用いることは平安時代には行われるようになっていました。また、赤飯にも小豆が使われますが、こちらは比較的新しく、もとはお供え用に特別に栽培された赤米の飯が神前に供えられていたのが、だんだん赤米の生産が少なくなり、代わりに小豆を加えて赤い色をつけるようになったものだといわれています。
 小豆は甘納豆、粒餡、さらし餡、羊羹、汁粉、ぜんざい、饅頭、餡餅、おはぎなど、日本の代表的な菓子や間食に用いられており、小豆がなかったら日本の和菓子はほとんど成り立たなくなるのではないでしょうか。
 饅頭は鎌倉時代に元から浄因という僧侶が伝えたといわれ、羊や豚の肉を包んだものでしたが、これを日本の国情に合うように小豆の餡に代えたものだといわれています。
 小豆粥といい、饅頭といい、小豆は日本でいろいろなものに取って代わって、日本の食文化の一方を支えてきたことがわかります。
 小豆を砂糖と煮ただけの「ゆで小豆」の缶詰も好まれています。太平洋戦争中は戦地の兵士へ食物などを詰めた「慰問袋」が小学生などから送られましたが、そのなかで一番喜ばれたのは「ゆで小豆」の缶詰だったといわれています。小学生だった私は、それを袋に詰めながら、自分も唾を飲むほど食べたかったことを思い出します。どこにいても、いくつになっても、小豆の味は日本人の友なのでした。

大塚 滋 Otsuka Shigeru

食文化研究者。新潟県生まれ。大阪大学理学部化学科卒業、理学博士。大阪府立大学教員、ウスター実験生物学研究所(米・マサチューセッツ州)研究員、武庫川女子大学教授、同大学大学院教授等を経て退職。著書に『味の文化史』(朝日新聞社)、『食の文化史』(中央公論新社)、『パンと麺と日本人』(集英社)、『世界の食文化』(共編/農山漁村文化協会)ほか多数。